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人里と融和した梅林、牛尾梅林

地域のランドマーク的存在の牛尾梅林

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3月上旬の晴天の日の牛尾梅林

 

 

例年2月末〜3月上旬にかけて、梅の花が山肌一面を覆い、かぐわしい梅の香りが一帯にたちこめる牛尾梅林。小高い丘陵地の形をした牛尾山に約5千本、周辺をあわせると約1万3千本にも及ぶ梅が咲き誇ります。集落のある平野部からはよく見え、梅の季節になると鮮やかな煙幕を張ったような素晴らしい風景が展開します。牛尾梅林は梅の実の収穫も盛んで、佐賀県有数の梅の産地でもあります。また平安時代からの由緒ある牛尾神社があり、牛尾梅林は、神社を囲むように発展しています。そんな地域のランドマーク的存在の牛尾梅林について深く探っていきましょう。

見る場所によって趣がある牛尾梅林

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牛尾山の尾根にある梅

牛尾梅林は、白や桃色のコントラストをなす風景や、間近で見る可憐な花びら、迫力のある下からの眺めなど、見る場所によって異なる趣があります。まずは、牛尾山の麓から、山頂や牛尾神社に至る道を進んでみましょう。道の脇に梅林が広がり梅の実栽培用の白い梅の花や、観賞用の桃色の梅の花を楽しめます。道中にはところどころに視界が開けているビューポイントがあり、牛尾山に広がる梅林を味わうことができます。山頂に到着すると、周辺に広がる梅林、そして眼下には農業の盛んな佐賀平野があり、広大な田園地帯が展開しています。また視界の良い日は、遠く雲仙まで望むことができ、雄大なパノラマを楽しめます。春の晴れた日には、ここで一服したくなるような、のどかな雰囲気に包まれる場所です。

 

源氏から信仰された牛尾神社

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牛尾神社拝殿と梛の木

牛尾山の山頂から少し下った所に、牛尾神社があります。牛尾神社は平安時代の初期である西暦796年に、桓武天皇の勅命により、熊野権現を勧請したことにより創建されました。武士が台頭する時代になると、武家の棟梁である源氏は、牛尾神社を深く信仰しました。源義経武蔵坊弁慶が腰旗を奉納し、征夷大将軍となって鎌倉幕府を開いた源頼朝は、牛尾神社に領地を寄進しています。境内にある梛の木は、源頼朝北条政子が梛の木の下で結ばれたことにちなんで、植えられたそうです。この梛の木の木の葉は、引っ張っても切れずらいため、固い絆で結ばれて縁結びの願いがかなうとされています。

多くの人から信仰される牛尾神社

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牛尾神社の肥前鳥居

江戸時代になると、初代佐賀藩主の鍋島勝茂は、肥前鳥居を寄進しました。この石造りの鳥居は現存しており、佐賀県重要文化財に指定されています。明治時代に入っても、大日本帝国陸海軍の武運長久を願う人々が、武門にゆかりある牛尾神社を参拝するようになります。日清戦争では、清からの戦利品として、清の甲板が奉納されたそうです。規模的には小さな神社ですが、平安時代からある由緒があり、多くの人々からの信仰を受けた神社です。神社・仏閣は、信仰の対象であると同時に、庶民にとってはテーマパークのようなエンターテイメントの場所でもあったので、牛尾神社の参拝とあわせて、牛尾梅林の観梅が有名になっていったと考えても不思議ではありません。

梅の産地として発展する牛尾梅林

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栽培用の梅の白い花

 

牛尾梅林は、古くから梅の実をとるために、栽培が行われていきました。標高80mの小高い牛尾山一帯を、先人たちは梅林として開発していきます。そして江戸時代の末期には、観梅の名所として知られるようになりました。明治時代になると、激戦が続き兵糧の補給が大変だった日露戦争の兵士の栄養食として、漬け梅や、梅酒を送ったそうです。その後も生産農家が増加していき、平成のバブルの頃が最盛期になりました。およそ70~80トンの梅が、梅干し等の加工用として出荷され、佐賀県内有数の梅の産地として不動の地位を占めるようになります。

愛情込めて育てられた梅

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収穫しやすいように剪定された梅

 

現在でも約60万トンの梅の実生産を維持しており、5月中旬から出荷される「日本一早い梅」として高い評価を受けています。梅の実を採るために栽培されている栽培梅は、剪定などがきちんとおこなわれおり、整然としています。梅の花の季節になると、白い花をたくさん咲かせ、白いじゅうたんを広げたようなすばらしい風景になります。栽培梅のエリアでは、梅の実の生育を優先させるために、近くに立ち入ることを控え、できるだけ遠くから梅の花を愛でるようにしてください。牛尾梅林を歩くと、栽培用と観賞用の梅を育成してきた生産農家の方々の長年にわたって培った技術と、梅と対話し、梅を大事にしてきた愛情を感じずにはいられません。

 

春を告げるメジロ

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メジロが蜜を吸う梅の花びら

牛尾梅林では梅の花が咲きほころぶようになると、花の蜜を求めてたくさんのメジロが集まります。小柄な上、とても人に対する警戒が強く、動きが素早いため、じっくりと観察するのは難しいのですが、黄色緑色のメジロは、淡い色をした花の美しさを引き立てます。梅にうぐいすとはよく言いますが、牛尾梅林では、梅にメジロが春の訪れを告げる光景になるようです。

 

人と共生する牛尾梅林

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梅林と民家

 

古くから人々に愛されてきた牛尾梅林。約80mの高低差のあるこの梅林は、牛尾神社がある山頂部分を中心に、梅の実を収穫する栽培用の梅林、そして人々の住む麓の集落まで梅林は伸びています。長い年月を経て梅林と人々の暮らしている集落が、景色の中に溶け込んでいます。人里と梅林の美しい風景ですし、日本の里山の原風景とも言えるのではないでしょうか。みなさんも牛尾梅林に訪れてみて、梅林のもたらす豊かな自然を満喫してみてはいかがでしょうか。